「好きなものを頼め」から思うコミュニケーションの煩わしさ

上司と二人で飲みに行った時に「好きなものを頼め」と言われたのでポテトフライを注文したら「いつまで学生気分でいるつもりだ!」とブチ切れられた、というツイートが様々な議論を巻き起こしている。

ワイはまだ社会人四年目だけど、こういう現場に出くわしたり、あったという話を聞いたことがない。ぶっちゃけ言われた側に、日頃の行いから学生気分を思わせることが色々とあって、最終的にポテトフライが引き金になったとか(そうでないのなら上司は人間性がアレ)、そういうことだと思う。

真偽はともかく(偽だと思うけど)、
上司に「好きなものを頼め」と言われたら本当に何でも頼んでいいかというと、そうでもなく、TPOやら雰囲気やら気遣いやら漠としたものを読み取った上で地雷を踏まないよう気をつけながら注文しなくてはならない。
彼女に「ご飯はどこでもいい」と言われてもマクドに行くという選択肢は、基本的に存在しない。別れるためならベストチョイス。

「好きなもの頼め」「ご飯はどこでもいい」「何でもいい」
この辺りを状況に応じて読み解かなければならないのは日本人的な文化で非常に面倒なものなの。ただ、いくら若者が不平不満を言ったとて、数十年はこれらの言葉が言外に「色々と踏まえた上でベターなものを選べ」と意味することは変わらないだろう。
残念ながら、自分とは違う人間と関わりながら生きてくにはコミュニケーションの煩雑さと向き合い続けるしかない。無視し続けるのも結構だが求心力の無い凡人ならば周りから孤立していくだけ。

話は多少ズレるが、「何でもいい」って言ったやんけコラ!という人も無理がある。

・母から「お昼何にする?」と訊かれて「何でもいい」と答えたが出されたものは微妙だった。
・総理は「誰でもいい」と思ったが全然良くなかった。
・就活は内定取れれば「どこでもいい」と思ったがブラックは嫌だ。
・「何でもする」とは言ったが身体を売るということではない。
・広島土産は「何でもいい」と言ったがしゃもじ以外が良かった。
・京都土産は「何でもいい」と言ったが固い方の八つ橋以外が良かった。
・沖縄土産は「何でもいい」と言ったがちんすこう以外が良かった。
・浅草土産は「何でもいい」と言ったが雷おこし以外が良かった。

ハワイ土産は「何でもいい」と言ったがマカダミアナッツ以外が良かった。

上記のいずれかは誰しも経験したことがあるはずで、皆「何でもいい」が「何でもよくない」ことくらい、本当は知ってるはずなのだ。白々しいのだ。

とりあえず、文化はすぐには変わるものでもないので嫌だという人は「何でもいい」とか投げやりな言葉を使わないようにして、少しずつ自分の観測内から追い出すくらいしか無いでしょう。